【羽村市】羽村山口軽便鉄道廃線跡は、村山貯水池への導水路敷設の歴史を伝えています!
羽村山口軽便鉄道は、村山貯水池と山口貯水池の建設、および堰堤コンクリート耐弾層(嵩上げ)工事のために運行されたようです。廃線跡の説明かんばんによると、羽村山口軽便鉄道の歴史が3期に分けて説明されています。昭和19年(1944年)に東京都の水道事業で重要な役割を終え廃線となりましたが、その記憶は「神明緑道」として現代に受け継がれています。羽村市内では横田基地で一度途切れるものの、武蔵村山市から再び廃線跡を辿ることができる、と記されています。村山・山口貯水池建設と導水路敷設に伴う軽便鉄道の歴史は三期に分かれます。第一期(1917~1924年)は村山貯水池の資材運搬、第二期(1928~1931年)は山口貯水池の砂利運搬に利用され、事業終了で廃止。第三期(1943~1944年)は米軍空襲対策の耐弾層工事で再利用され、空中ケーブルも設置されたが、工事終了と共に撤去されました。
これは現在の羽村山口軽便鉄道廃線跡です。現在も廃線跡の地下には導水路「羽村村山線」が通っており、この導水路は延長8329m、勾配1/1500、最大流量12.5㎥/秒です。これらの情報は、東京都水道局発行の「ダクタイル鉄管NO.41 P.15」および一般社団法人日本ダクタイル鉄管協会から引用されています。
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